ジュニアユース時代
サポサポ 三菱養和時代にU-15高円宮杯で優勝してますよね。
U-15高円宮杯
正式名称は高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会です。
高円宮杯は、高円宮による賜杯、およびそれを優勝杯とする競技大会のことで、サッカーだけでなく様々なスポーツ、さらには英語弁論大会なども行われています。
宇留野さん はい。
サポサポ その時のことは覚えていますか。
宇留野さん ええ、覚えてます。鮮明に覚えてます。自分でも中学時代が一番伸びたっていう実感がありましたし。
チームが小学校と比べても格段にレベルが高かったので。
サポサポ 当時のプレースタイルはどんな感じでしたか。
宇留野さん その頃も前や中盤でしたね。
サポサポ 前目のポジションで点を取るといった感じですか。
宇留野さん そうですね。
サポサポ 子供のころからプロに至るまで、一貫して同じポジションだったんですね。
宇留野さん そうなります。
サポサポ 歴史の長いクラブですから練習環境は充実していたと思いますが、指導者も優秀な方だったのではないでしょうか。
宇留野さん 指導者もレベルが高かったですね。
サッカーの指導を仕事にしている人たちだったので、勝負にもこだわっていましたし。
プレーが良ければ選抜チームに入れたりと、うまく競争も作っていたと思います。
サポサポ 所属人数は多かったんでしょうか。
宇留野さん 多かったですね。AチームとかBチームとかあって。
その中でも良いプレーが出来れば上のチームに入れたり、上の学年とできたりと、そういう競争が中学ながらにありました。
サポサポ なるほど。充実した環境だったんですね。
宇留野さんは、その中でどのあたりにいたんでしょうか。
宇留野さん 結構早いうちから評価してもらえて、最初からトップチームで上の学年とやらせてもらってました。
僕ともう一人マリノスでプロになった井手口は、ずっとそうでしたね。
井手口純
横浜Fマリノスでプロになり、湘南ベルマーレやサガン鳥栖などでプレーしたDFの選手です。
宇留野さんとは同期で、三菱養和SCから桐光学園高校まで一緒でした。
現在はサッカーの指導や普及活動に従事しています。
サポサポ ずっとトップレベルだったんですね。
宇留野さん 中学生までは(笑)
サポサポ いやいや(笑)
実際のところ、Jリーガーになる方は子供のころはチームでトップレベルだったというのは良く聞く話ではあります。
でも、サッカーが盛んな地域では多くの子供たちがやっているわけで、すごく大きなピラミッドになっているわけじゃないですか。
その中でトップにいたというのは、やっぱりレベルが違いますよね。
宇留野さん その環境での経験がすごく重要だったと思いますね。
もし学校のサッカー部に入っていたら、プロにはなれなかったかもしれないと思っています。
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